
先月の『本の雑誌』少女小説特集で記事になっていたので買って読んでみた。
高校生が主人公の青春小説は大好物なのだけれど、高校生モノなら何でも無条件に懐かしさを感じるかと言うとそうではなくて、もともと身近でない感覚はやっぱり理解しがたい。80年代後半〜90年代のリアル口語体文章で垂れ流される女子高生の日常は読んでいる間ずっと「どうでもいいよ」という気分だった。氷室冴子の『クララ白書』なんかもかなり面白く読めたのだけれど実際は物語の筋を楽しんでいただけであってべつに女学生のリアルな感情に共感したわけではなかったし、僕は結局コバルト文庫の醍醐味を何も理解できていないのかもしれない。
僕は女学生のリアルな生態よりも、こんなことを考えていた90年代初頭当時の高校生が20年近く歳を取った今何を考えているのか、当時を思い返してどう感じるのかの方にとても興味がある。というのも現在25歳の僕にとって既に高校時代はかなり遠いものになっており、人生でもっとも輝いていた時期(実際どうだったかはともかくとして)からどんどん遠ざかりつつあることに対して日々不安を感じているからである。ついこないだ月曜だと思ったのにまた月曜だった時。冷蔵庫の中の食べ物がいつの間にか賞味期限を過ぎていた時。本当にちょっとした拍子に、日々を漫然と過ごしているうちに自分が元いた岸からとんでもなく遠くまで来てしまっていることに気が付いてどうしようもない絶望感に襲われて泣きそうになる。僕よりさらに10年以上歳を食った元青春経験者がこの絶望とどう折り合いを付けているか、どうやってオジサンオバサンの自分を受け入れているかを聞いてみたいのだ。

――ヒマラヤの氷河湖が決壊し、偶然発見された5000年前の方舟。
舟の中から見つかった木簡には不思議な蓮華模様が記されていた。
蓮華模様の正体は…ゲノム地図!?
遺伝子工学で現代にメシアを作り出す壮大な計画が始まる。
今回も例によって
「平凡な主人公と科学者たちがなんかトンでもないことをしようとする→途中まで成功→失敗→まあいいか」
というパターン。
でも他の作品に比べて、途中の説明がいかにも胡散臭い。遺伝子情報からいきなり3Dシミュレーションしてしまうところとか…。もう少しSF的リアリティが欲しいところ。
しかし、そんな科学ネタは適当に納得して登場人物のドラマを追いかけるのが機本SFの楽しみ方。
TEBが死んだ後、なんとなくみんな幸せになっていて読後感が気持ち良い。
ニンジンの組織培養しかやったことのない元生物部員でも楽しめた人工生命SF。
ラボの描写といい周囲の人間たちのドラマといい、畑正憲の『REX 恐竜物語』(角川文庫)を思い出す。
小学生のときに合奏部の1年上のお姉さんに貸してもらって読んだ思い出の作品。
どちらかというと恐竜物語のほうが完成度が高いと思う。でもどちらも面白い。
(でもREXは映画版と漫画版、あれは良くない。)
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「宇宙を作ることはできるのか?」という難問に挑む、ダメ学生と天才少女の話。
物理用語満載で初めは少なからず抵抗があるけれど、SFの雰囲気作りというか物語の彩りみたいなものだから、分からない部分は気にせず読んでも問題なく楽しめる。
空気のような冴えない主人公がエキセントリックな女の子に振り回されながら話を進めていく、というのはなんだか『海がきこえる』を連想させる。主人公の日記のような語り口もよく似ている。(こちらはそのまんま日記形式だけれど)
『海がきこえる』と違って、主人公が武藤里伽子や津村知沙とイイ感じになることもなく最後までロクな目に遭わずに終わるのは、青春モノよりSFのテイストに重心を置いたのだろうか。決してキライではないけれど、後半さんざん盛り上げたわりに最後あっさりと終わってしまって拍子抜けだったのは同じ作者の小説『僕たちの終末』と同じだった。

『三月は深き紅の淵を』という架空の本をめぐる4つの短編。
第一章の中で語られている作中作『三月は深き紅の淵を』のあらすじは、
第一部は4人のよく喋る壮年の男女が旅をする話。
第二部は失踪した恋人を、主人公の女性が恋人の親友と探す話。
第三部は少女が生き別れになった腹違いの兄を探す話。
第四部はある物語作家が小説を書くところを一人称で描いた話。
第二章の中でも同じような紹介がされている。細かいディテールが少し違っているのはわざと正体をぼかすためだろう。
そしてこの作中作になぞらえる形で、『三月は深き紅の淵を』の各章に似ているようで異なる4つの物語が描かれている、それがこの作品である。
4つの章を通して読むと作中作『三月は深き紅の淵を』の形がはっきり見えてくるどころか、かえって漠然としたものになってしまう。何か大きな建物のまわりをぐるぐると回っているような、全貌をつかんだようで一向に正体のつかめない、靄のかかったような小説である。
残念なのは、これら4つの章をまとめた実際の『三月は深き紅の淵を』が、作中で言われているほどの作品になっていないことだ。
作中で登場人物たちに語られている、
「素晴らしい作品。誰もが魅きつけられる小説。こうして話を聞いているだけでも、とっても読みたくなる。」(第1部)
「確かに、妙に残る話であることは認めるわ。決して傑作ではないけれど」(第2部)
「本を閉じたあとも本の外に地平線が広がり、どこまでも風が吹き渡るような話。目を閉じれば、モザイクのようにきらきらした断片が残像のように脳裏に蘇る話。愛と人生の謎が秘められた、持った瞬間にずしりとした重さを感じる果実のような物語。」(第4部)
という形容に、どうも「外の4部作」は見合っていないような気がするのだ。
しかし、アイデアオチの実験小説まがいの作品か、というと決してそんなことはない。読者は外側の物語を追いかけながら内側の物語を想像しようと試みて、でも小説の構成は入れ子のようでありながら内容は作中作を完全になぞっているわけでもなく、内側の四部作をつなぐ共通のキーワード「ざくろの実」、同様に外側の四部作をつなぐ「小泉八雲」、さらに作中にちりばめられている小さなネタや嘘か本当か分からないような話、これらを考えているうちにとりとめもなくなってきてお酒を飲んで寝てしまう、そんなぼんやりした快感こそまさに読書の醍醐味。本が好きな人を幸せにしてくれる本だと思う。




