
どうも読んだことあるような…と思ったら高校の時、図書館で単行本を読んでいた。(単行本では『90くん』というタイトルだった。今回読んだのは角川文庫)
一つ一つのコラムは大して面白くないのだが、2000年代に入って変な人気も落ち着いてきて、メンヘル時代を過去のものとしてうまく整理できている大槻ケンヂの文章は、なんだか安心して読んでいられる。
これがのほほんというものか。
私の90年代の思い出はあまりぱっとしないのだが、強烈な記憶があるものでは
「平仮名の『そ』を一画で書くように指導される」(小学1年だったから89〜90年)
「『酸性雨が怖いので登下校時は傘を差すように』と小学校で指導される」(90年)
「『サーフ'90』という湘南地区を挙げてのイベントがあったがまったく盛り上がらず」(90年)
「横須賀線のボックス席が激減して寂しい」(95年ごろ?)
「たまごっちが抽選で当たった(タダではなくて『買える権利』)けれど持て余す」(97年)
「母校の小学校でブルマー廃止」(妹が小学校中学年だったから98〜99年くらい?)
くらいだろうか。いや、もっと色々あったはずなのだが…。

起伏の無いストーリーを香川の方言と田舎の朴訥さで上手いことイイ雰囲気に仕立て上げているけれど、話自体は大したものではない。バンド解散の危機や学校への反抗などロック定番イベントも特になし。甘酸っぱい恋愛エピソードはというとクラスメイトと海に行って貝を掘ったくらい。文化祭でライブをやって盛り上がってワァァー!!、その思い出を胸にボクたちは大人になってゆきます、的な話。
私の高校時代と大して変わらない、平坦で穏やかな高校時代。…のはずが何だろうこの違いは。やはりギターなのか、バンドなのか。漫研と生物部じゃ味わえない何かが軽音部にはあったというのか。
この流れ、どこか覚えがあると思ったら数年前も堀田あけみ『転がる石になれ』を読んで高校生バンドの青春をさんざん僻んだ後に波多野鷹『生物部物語』を読んでホッと溜め息を吐いていた。まったく成長していない……。
香川の田舎高校という閉じきった狭い世界の中でささやかな青春を謳歌していた主人公は最後、バンドの仲間と別れて東京の大学を受験する。ここでの東京行きは当然のように閉じた世界から脱却することのメタファーとしての意味を持っているわけで、1967年当時の観音寺は私の想像よりもはるかに田舎であろうことを考えるとこれはもう決定的な「ここから大人」イベントなのだろうけれど、この感覚は私のような「東京コンプレックスが無いコンプレックス」を持つ首都圏周辺人、横浜あたりで遊んで中心から少し外れたところで満足している人間にはいまいち共有できないもので、本質のところでこの小説の世界に入り込めていない気がして少し悔しい。それでもバンドに賭けた青春なんてまったく経験していない私がこれほど懐かしい気持ちになれるのだから、くたびれたサラリーマンが文化祭でワァァー!!出来るのだから、小説ってやっぱりすごいなあ!と思う。
『グミ・チョコレート・パイン』『ロッキンホース・バレリーナ』『キラ☆キラ』『青春デンデケデケデケ』と続いてきたバンド青春モノもこれでひと段落。次は何を読もう。

コミケで「ゼロの使い魔」の同人誌を買うために原作を勉強しておかねば、とまとめ買いして積んでいたのだが、当日までに読み終えたのは1巻だけ。結局コミケでもルイズ本は買わず、未消化の積み本だけが残った。
今さら続きを読んでもなあ……という気分だが、正月あんまりヒマなので手をつける。
話自体はつまらなくはないけれど基本的にどうでもいい。序盤は釘宮ボイスを想像して多少頬が緩んだものの、それ以降は特に見どころはなかった。しかしこいつら既に2巻の時点でかなりイイ雰囲気になっており今にもラブラブしそうなのだが、あと十数巻どうやって続くんだろう、という点は気になる。
ゼロの使い魔は「三銃士(ダルタニヤン物語)」が下敷きになっているらしいけれど、小学生の時に読んだきりで完全に忘れてしまった。「のび太と夢幻三剣士」くらいしか知らない。そのため元ネタを理解してクスクスしたり優越感に浸ったりできないのが悔しい。



